ヴォネガットについて、大いに語る

国のない男

国のない男

大変遅ればせながら、SFマガジン9月号にて、カート・ヴォネガットの訃報を知りました。
転倒した際に頭部を打ちつけたことによる脳への損傷が原因で、事故から数週間後の今年4月に亡くなったそう。
一番好きな作家だっただけにショック。
もっとも、1997年「タイムクエイク」発表後に断筆宣言をしたときから、「いつ死んでもおかしくないな」とは予想していましたが。
しかしまさかこんなに早く、こんな意外な形で、その生涯に幕が下ろされようとは。
奇妙にとぼけた味わいのあるSF作品で知られる作家ですが、その実、痛烈なる社会批判などが込められ、SFの範疇を軽く飛び超えて、現代アメリカ文学の礎を築く役割を果たした一人なのです。
それ故に、今回こうしてヴォネガット特集を組むことになったSFマガジンを眺めていると、ときどきこれがSF雑誌であることを忘れ、現代新潮辺りを読んでいる気分になってくるじゃないですか。
それだけ記事がSFっぽくないと。ヴォネガット好きで知られる、爆笑問題太田光氏の原稿もあったりするのでね。
処女長編「プレイヤー・ピアノ」が、ジョージ・オーウェル作「一九八四年」に通じるディストピア小説であったことが由で、作家自身にとってありがた迷惑となる「SF作家」の称号をたまわることになります。
しかしその後も、あえてSF(もしくはそれに近い)作品を書き続けることによって、「さあ、私はキミらの言うSF作家なのだから、それならSFを書こうじゃないか!」と、自らSF作家を気取ることによって世論を皮肉ってみせる辺り、相当な偏屈者であることが伺えるでしょう。
ま、その辺りがファンを惹き付けて止まない魅力なんですけど。
私が初めてヴォネガットを知ったのは、忘れもしない、当時解散を表明した英国ハードロックバンドTHUNDERのライヴを追っかけするため、大阪へ赴く新幹線の車中で読む本を探していた折のこと。
「行き帰りでサクっと読めそうな軽い本」
そう思い、たまたま目に付いたのが「猫のゆりかご」と言うSF。
作者はカート・ヴォネガット
はて。そういや、いつしかの「炎(伝説のメタル文芸誌)」で、風間賢二氏が同作者の「タイムクエイク」と言うのを紹介していたなぁ。
ポストモダン/幻想派の風間氏が奨めているのだから、これは何かしら読むべきものがあるのだろう。
そのように勘違いして(?)、この一冊に決めたと言う経緯があります。
ところが読み終わって、当時まだ小説を読み始めたばかりの私にとっては、あまりにぶっとんだ展開と奇抜な構成に面食らってしまい、正直何がなんだか分かりませんでした。
とは言え、当時熱意と忍耐がまだまだ充実していた若き自分は(いまではそんなものはとうに失せてしまったが!)、ここでヴォネガットと言う作家を逃さず、「分からないのなら、分かるまで読もう、ホトトギス!」と、次から次へとヴォネガットの作品を手にして行きました。
でもって気が付きゃ、ほとんどの作品を読破。いつしか熱烈な(?)ヴォネガット・ファンとして仕上がっていた次第。ヴォネガットの作品で何が一番好きかと問われれば、読み返す度に評価が変わったりするのでなんとも断言できないところですが、今のところ月並みではありますが、作者のもっとも代表作とされる「スローターハウス5」にしておきましょう。
最初読んだときは難しかったのですが、二度目に読んだとき、もの凄く感動した覚えがあります。映画化された一作で、しかし映像作品の方は見た事がありません。
プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

まだヴォネガットの作風が確立する前の処女長編「プレイヤー・ピアノ」は、普通SFとして素直に楽しむことの出来た作品(2作目以降、時間の順列がメチャクチャになってくる)。デヴュー2作目、「タイタンの妖女」はノスタルジーに満ちており、ヴォネガットの作品で最初に「こりゃおもしろい!」と思った作品。ラスト泣けた。爆笑問題の太田氏が、この作品タイトルをヒントに、事務所の名を「タイタン」としたことはあまりに有名!(そうなんですよ)
母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

「母なる夜」は、白水社から刊行された池澤夏樹氏による翻訳が有名ですが、私は早川文庫版の方を先に読み大変感動致しました。スラップスティック」は、お下劣なヴォネガット作品の中でも、一番お下劣が過ぎる一作かも知れない。「猫のゆりかご」実は未だによく分からない小説なのですが、その不思議な世界観は大好き。「ローズウォーターさん、あなたの神のお恵みを」歳を重ねると、この小説に出てくる言葉のひとつひとつに、殊更深みを覚えるのであります。「チャンピオンたちの朝食」荒唐無稽の極み?アイロニーに満ちた作風が愛すべき一作。ブルース・ウィリス主演で映画化され、キルゴア・トラウト役のアルバート・フィニーがハマりでした。ヴォネガット本人もチョイ役で出ていたはず!?「デッドアイディック」SFの要素は一切ないはずですが、やはり時間軸がずれていて奇妙な味わい。普通の小説読みの人は、この作品から読み始めると入りやすいかも。
ガラパゴスの箱舟 (ハヤカワ文庫SF)

ガラパゴスの箱舟 (ハヤカワ文庫SF)

ガラパゴスの箱舟」後期の作品は、ブラックユーモアが利き過ぎて笑えなくなった。などと言われることも多いようですが、私はむしろ後期の方が笑える(笑)作家本人が自身の作品評価で最高点を掲げている長編。私もお気に入りの一作!
ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))

「ジェイルバード」やばい。2回くらい読んでるはずですが、あんまり覚えていないなぁ(笑)でも、おもしろかったことだけは覚えているんですがね!
青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

「青ひげ」更に覚えていない作品(自爆!)確かに読んだはずなんだけど。でもおもしろかったことだけは上記作品と同じ。
モンキー・ハウスへようこそ〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

モンキー・ハウスへようこそ〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

「モンキーハウスへようこそ1&2」全2巻の短編集。ほんのり、しんみりする珠玉の作品集ですな。2巻目がなかなか見つからず、ある日、西友の外に特設された古本コーナーにて100円で買った記憶が。「ホーカス・ポーカス」今、読んでいる真っ最中!
タイムクエイク (ハヤカワ文庫SF)

タイムクエイク (ハヤカワ文庫SF)

「タイムクエイク」結局これが最期の長編になってしまいましたな。新作を執筆中だったらしいですが、残念!何度も読み返したい作品でした。内容を忘れたとかじゃなく、いや、忘れたのは確かですが(笑)、内容が良かったという意味で!
ヴォネガット、大いに語る (1984年) (サンリオ文庫)

ヴォネガット、大いに語る (1984年) (サンリオ文庫)

ヴォネガット、大いに語る」第一弾エッセイ集。近所の古本屋でプレミア1500円くらいで買ったんじゃなかったっけ?
私が持っているのは以上。まだ数冊ほど抜け落ちてますが、メインとなる長編に関しては、全て揃っておるわけです(紹介順は年代を無視してます。ヴォネガットのように、私も時間軸を無視してみた次第?いや、単にめんどくさかっただけか)
宮迫とほとちゃんの雨上り決死隊が司会を務める深夜番組で、今度「カート・ヴォネガット芸人」とかやればいいのに。
あ、これじゃ爆笑問題の太田氏の独壇場になっちゃうか。
いや、まだスチャダラパーもいるぞ!
実はまだまだ「隠れヴォネガー」がいるかも知れない。
それはともかく、こうしてヴォネガットについて思うところを、つらつらと書き連ねて来ました(「大いに語る」とタイトルに冠しているのだから、大いに語らねばウソになるのだ!)。
享年84歳。
なんとヴォネガットの多くの作品に登場し、作者自身の分身でもあったキャラクター、SF作家キルゴア・トラウトが作中で死亡する年齢が、この84歳なのです。
貝殻の上のヴィーナス (ハヤカワ文庫SF)

貝殻の上のヴィーナス (ハヤカワ文庫SF)

キルゴア・トラウトが執筆したとされる本物のSF作品。しかし実際は、トラウトをリスペクトするSF作家フィリップ・ホセ・ファーマーがトラウトを名乗って書き上げた)
この奇妙な偶然が、ヴォネガットがこの世の最期に残した、最高のユーモアだった気がします。
あまりにあっけない気もしますが、作品の中で、
「(人生とは)そういうものだ!」
と言い続けた作家にとって、実に「らしい」幕切れであった感も。
晩年のインタヴューを読むと、この世界(政治も環境汚染もひっくるめて)の全てに悲観的だったようです。
「もう何をやっても無駄。もう地球を救うことなど出来ないのだから、それまでの間、人類に残された最良の手段とは『たのしむこと』だ!」
そう言い切っていた作家の言葉に、私自身返す言葉もありません。
全てが無気力の中で進行している。
「リセット」するなんて、そんな“てい”の良いことは言いますまい。
そろそろ、全部を終わりにしようか!
「私の人生、はい、それまでよ!」
もはや一発逆転もなく、破滅に向かってひた走る世界に我々を残し、「それじゃあ、よろしく!」と言ってこの世を去ったカート・ヴォネガット
さて我々は、あとどのくらい笑って過ごすことが出来るのでしょうか。
まあ、せいぜい、最期が訪れるその時まで、私はこの世を楽しませてもらうことにしましょうか!
プーティウィッ?

@ちぇっそ@