春のめざめ

今日はお休みを利用して、渋谷アンジェリカで公開中のロシアアニメ、「春のめざめ」を見に行って来ました!
今回、全く初めて訪れる劇場だったのわけですが、井の頭線の駅に沿って坂道を登ったところにあるミニシアター。しかしこの坂がやけに急で、しかも今日は凄い突風が吹き荒れており、男の私でもフラフラしながらやっとこさ坂を上りきりました。
もっとも背の高い私は、それだけ風の抵抗も受け易いわけですが(笑)、にしてもなぁ、これはちょっとした登山ですよ。それも吹雪の雪山!
女の人は大変ですね、スカートがはためいたりして。もちろんその決定的瞬間を期待する私がいるのですが(自爆!)、そんなセクハラ発言はいけません!どこぞの准教授みたいになっちゃいます。
同時上映として8分の小品「岸辺のふたり」の後、「春のめざめ」が開始されます。

岸辺のふたり
自転車に乗り、岸辺へやって来た親子。父は泊めてあったボートを漕いで、沖へと出て行った。幼い娘ひとりを残して。それからと言うもの、自転車を漕いではこの岸辺へとやってきて、少女は帰らぬ父を待ち続けるのであった。
オランダ生まれの映像作家、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督による8分間のアニメ作品。
少女は雪の日も雨の日も、それから成人しても年老いても尚、ボートに乗って行ってしまった父の帰りを待ち続けるのです。少女が岸へとやってくる場面が繰り返されるばかりですが、そこには少女の成長が記されており、決して途絶えることのない親子の絆が示されているのです。
セリフは一切なく、自然の音と、そして自転車のベルと車輪の音だけが鳴り響きます。シンプルな線だけで描かれた景色と、淡い色調がノスタルジーを感じさせます。
ネタバレは避けたいので結末は言えませんが、ラストでこの娘は死んでしまったのではないかと想像させるものがありました。それはきっと、東洋人ならだれでも考えつくことでしょう。思想的な面でヨーロッパ人とは違うので、そのように思うのは簡単ですからね。
この走馬灯のようによぎるイメージが、最後ほろっとさせるわけです。

「春のめざめ」
19世紀末のロシア。ツルゲーネフの「初恋」に感銘を受けたアントンは、恋に理想を求める思春期の少年である。彼は使用人のパーシャを想い慕っている。例え身分は違えど、きっと自分は彼女を幸せに出来るはずだと感じている。そんなアントンの前へ、彼よりも年上で大人の女の魅力をたたえたセラフィームが現れる。彼は自分の「女神」に遭遇したと感じ、セラフィームのことも愛するようになる。アントンは2人の女の間で、たくましい恋の想像を膨らませるのだった。
スタジオ・ジブリ配給による第一弾。アカデミー賞受賞、アレクサンドル・ペトロフ監督による27分間の作品。
油絵が動くと言う驚くべき技法。約3年をかけて製作された本作は、めくるめく感性と瑞々しい表現力に満ち、正にアニメを芸術の域にまで高めた傑作と言えるでしょう。モネに代表される印象派の画風が生命を与えられ、とめどもないイマジネーションの洪水に思わず窒息しそうになるほどでした。
キメラのように変幻自在な造形が息つくヒマなく変化し、人間に羽が生えて天使となり、それまで草原だった場所が、一瞬の内にして深い海の底へと沈んでしまう。現実と幻想の境がなく、私もいつしか自分の身体を抜け出し、画面の少年そのものになったかの錯覚を起こさせるものです。
もちろんこれは主人公のアントンが抱く、ほとんど妄想にも近い恋への憧れをファンタジックに描いたものですが、特に男性諸氏であれば自らの青春期を振り返って、まこと多く共感できる部分があるのではないかと推測されます。
それこそ胸が痛くなるような、または傍で見ていて“イタイ子”となってしまうような(笑)、汚れなく純粋な自身の理想をひたすら追い続ける少年時代の心情が、実に上手く捉えられております。
ストーリーも詩的且つ文学的であり、画面もまた、一度見始めたらもう目が離せなくなるような、なんとも言えぬ魅力に満ちています。
監督はユーリ・ノルシュテインの門下生と言うこともあり、その名に恥じない素晴らしい映像を作り上げました。伝統あるロシアアニメの精神を見事に受け継いだ作品です。
「アニメは映画に匹敵しない」、と豪語する某ふたごの映画評論家に見せ付けてやりたい映画ですな!(笑)いや、とっくに見てるだろうけど。

@ちぇっそ@