一九八四年

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

「偉大なる兄弟(ビッグブラザー)」が支配する高度な管理社会。テレスクリーンと隠しマイクによって、人々の生活は常に監視されていた。「真理省」に勤めるウィンストンは日記を付け始める。それは「偉大なる兄弟」を告発するための日記。しかし人民は誰一人として、指導者に疑問を持ってはいけないのだ。“自由思想”は今や犯罪となっている。同じように反抗する地下組織と接触し政府の転覆を狙うが、“思想警察”の魔手はウィンストンの間近へと迫るのであった。
ジョージ・オーウェル最期の傑作。「動物農場」に続き、これもまたスターリン政権下のソヴィエト社会主義に対し警告を発した、恐るべき近未来小説。
実際の1984年は既に過ぎ去っていますが、本作が書かれた当時から見た未来の社会が、ここにはあるのです。
そう言った意味で正攻法のSF作品であり、ザチャーミン「われら」、テオ・フォン・ハルボウ「メトロポリス」、それからヤン・ヴァイス「迷宮1000」などに代表される、近未来のディストピアを描いた作品であります。
もはや古典として読まれるべき名作。専門家の研究もかなり進んでいるところであるので、今更私が何か言うべきこともないのですが、とにかく凄まじい小説であったことだけは言いたい。
我々を含め西側諸国が、冷戦時代のソヴィエトに抱いていたイメージを先鋭化し、思想の自由すら奪ってしまった恐ろしき社会の様子をリアルな筆致で描いています。
また本作は、前作「動物農場」と対を成しており、その前作で提起された問題の回答編と言う一面も持ち合わせています。しかし、これがもしその「回答」だと言うのなら、全く持って救いのない結論に、我々は「絶望」の2文字しか思い浮かべることはないでしょう。
偉大なる指導者が言うのなら「白は黒である」し、「2たす2は5」になる。考えることをさせないために、権力にとって危険となる言葉は抹消されてしまう。つまり「悪い言葉」がなければ「悪い考えは起こさない」と言うこと。情報は完全に操作され、メディアを利用した緩やかなプロパガンダが横行する。
しかしこれらが現在の我々と全く関係がないかと言ったら、普段の生活の中で思い当たる節がいかに多いことかに驚愕するではありませんか!
白日の下に照らされているように見えて、実は話題を捏造することにいとまがない情報番組。いかにも都合の良い数値だけを選んで、景気が回復したなどとまくし立てる行政。差別に繋がるからと、放送禁止用語の選定に忙しい“常識的”な方々。インターネット内部の出来事こそが全てだと信じて疑わない人々。
これじゃあまるで、オーウェルが本作で描き出した社会そのままではないですか。この“ほぼ完璧なる管理社会”の中で生きている自分自身の境遇にこそ、そら恐ろしさを覚えるわけです。
あまりにおもしろくて、久しぶりにむさぼるようにして読んでしまいました。多少小難しい箇所はありますが、これほど強烈な一冊もなかなかお目にかからないものです。
興味を持たれた方には一読を奨めますが、ここはやはり「動物農場」をきちんと読んでからの方がよろしいかと思われます。実質的に「続き物」になっていますからね。
以下、余談ですが。
病院での待ち時間が長く(全くこの“大病院”ってヤツは)、待合室に座ったままかなり良いペースで読み進めておったわけです。でもって、小説の内容と院内の様子が妙にシンクロしており、お陰でジョージ・オーウェルの描いた近未来にばっちりと浸ることが出来ました。
まるで「白い監獄」ですな、ここは!(笑)
ま、本を読むシチュエーションも加味して、いやぁ、おもしろかった!

@ちぇっそ@