東京国際映画際「グラフィティー」

中段左から2番めがグラフィティ

いやぁ、クソ寒いっすね!夜には雨も激しさを増し、更には雷まで鳴ってまるで嵐のよう。この荒れ模様が寒さを一段シフトチェンジさせたようで、大気は一気に冬の香りで満たされました。
でぇ今日は、渋谷Bunkamuraまで、東京国際映画際に行って来ました!会場であるオーチャードホールに足を踏み入れたのは初めてだったのですが、その巨大さに先ずはビックリ!
敷地面積はバスケットコート2面半はあろかと。その上2階席、3階席まで用意されており、これぞ大劇場!と言った感じ。あまりに広いので、一体どこら辺に座れば良いのか感覚がつかめず、とりあえず適当なところで真ん中より弱冠前めに陣取ることにしました。
インターナショナルな映画際って、やっぱり凄いっすね。私が今まで行ったことのある場所では、東京フィルムセンターや川崎市市民センター、またはシネマライズ辺りでも随分広いと感じたのですが、オーチャードホールはそれらの優に2倍以上はあったでしょうか。驚き!
さて、今回私を映画祭に駆り立てた作品とは、当然のごとくロシア映画であります。タイトルは「グラフィティー」。イーゴリ・アパシャン監督作による長編です。
モスクワで画家を目指すアンドレイ。しかし彼は、才能はあるのにスプレーで壁に落書きばかりしている問題児であった。ある日絵の先生から、「田舎へ行って風景でも描けば、お前の絵ももっと芸術性を高められる」と諭され、ひとり旅立った。湖の景色が気に入ったアンドレイは、とあるその村へ住み込むことを決める。そこで絵の腕を見込まれた彼は、村の村長から壁画を描くよう頼まれる。最初は村の重役や幹部だけを描く約束だったが、その内、村の建設に重大な役割を果たした故人たちの写真までもが持ち込まれるようになった。アンドレイは早く絵を完成させて帰りたかったのだが、村長は「やはり、村に貢献してくれた人たちを外すわけにはいかんしなぁ」と言うばかりであった。
壁にスプレーで描いているところを、マウンテンバイクに乗って現れたグループに見つかり、その場を逃げ出したアンドレイ。壁をよじ登りスロープを滑り降り、自転車軍団と繰り広げる真夜中の逃走劇。
スピーディな展開から始まるオープニングは、大都会モスクワの喧騒を象徴するシーン。それから旅に出たアンドレイは、とある田舎に辿り着くわけですが、そこでは時間がゆっくりと過ぎ、どこまでも広がるロシアの田園風景が連なっている。
都会と田舎のコントラストがあり、同じ国であるはずなのに全く違う文化や生活習慣がある。ある意味、アンドレイは別の国へとやって来たよう。
村には個性の強い、いやもっと言うなら“アクの強い”住民たちが勢ぞろいしており、そんな中でアンドレイは、戦争で精神疾患を煩った“便所汲み取り屋”のミーチャと、自らを“伝道の書”と呼ぶ飲んだくれの老人、グリーシャとの友情を深めて行くのです。
ミーチャは村で“変人”と呼ばれているマリヤに恋をしている。囚われの“クジミンコ(見たところダチョウのようだ)”が気になってしょうがないグリーシャは、時に聖書の文句を引用して、虐げられた善人の苦悩を説いてみせます。しかし結局お金さえあれば、それが全てアルコールへと感化される、「酒、ときどき善人」となる変わり者のおじいさん。
とにもかくにも、全編に渡って登場する奇人変人たちのなりふりが、この映画の主だった魅力に繋がっているでしょう。この他、いかにもソヴィエト時代の名残を残す尊大な村長といい、いつまで経っても石油を掘り当てられない、いい加減な地質学者。または毎日バス停で待ち続けるが、いつもその添乗員がくれるキップを嬉しそうにもらうばかりで、決してバスにに乗ることのない青年など。
チェーホフが描きそうなリアルな人間模様ではあるものの、こうまで奇特な人間が寄り集まった集落は、それだけである種の“ファンタジー”たり得るもの。アンドレイがやって来た村が別の国のようだったと言うのも、あながち真実を突いているのかも知れませんね(笑)
さて、絵を描いているアンドレイの元に、毎日のように届けられる故人の写真とは、そのほとんどが戦争で亡くなった兵士たちです。そこにはアンドレイより若くして、チェチェンで命を落とした若者も含まれています。
モスクワでのほほんと暮らしていたアンドレイとは対称的に、戦場で過酷な運命を遂げた若き勇者。「早く家に帰らなければ」と言いながら、どうしても彼らを描かずにいられないアンドレイ。もし生まれる場所が違ったらありえたであろう、もう一人の自分自身をその写真に見ていたのかも知れません。アンドレイにとっては、これが戦争体験となったとは言えないでしょうか。
この作品の根底には、戦争と言うキーワードが横たわっています。忘れられる過去の歴史を、現代の若者に伝えると言う大義名分すら込められているようです。また人間博覧会となっている村そのものが、戦争で傷ついた者の集合体であると言った次第。
しかしながら、それらの深刻な問題が作品の娯楽性を損なうようなことはなく、作中でスパイス的に用いられており(かと言って軽く扱われているわけでもないが)、そのバランス感覚は見事なものでした。「戦争とロシアの田舎の風景」これこそが、この作品に一本の筋を通しているテーマだと感じました。
ラスト、アンドレイが遂にモスクワへ帰る場面で、草原のわだちの中を歩いて去るシーンがあるのですが、これはチュフライが「誓いの休暇」で描いた、戦場へ赴く若い兵士の姿を思い起こさせるものでした。結局彼は帰らぬ人となってしまうのですが、彼の母は一縷の望みを捨てず、毎日その道で息子の帰りを待ちわびるのです。
グルジアの監督だけあって、その映像美にはさすがにアートな感覚が漂っていました。また下世話なことを承知で言えば、人間の坩堝となった舞台の村は、さながら村崎百郎が好む“いい顔”した変人たちで埋め尽くされています。この運命共同体の中で繰り広げる人間模様が、世にも変わったスラップスティックな喜悲劇を産み、一種異様な、悪夢とも“パラダイス”ともつかない独特な世界を作り出していました(そう言えば冒頭のタイトル副題に「パラダイス」と掲げられていたような)。
とにかく“ロシア臭さ”が満載の作品。テンポも良く、様々なエピソードが積み重なって、ひとつの大きな物語がモザイク画のように浮かび上がってくる。私の一番好きな作家、ヴォネガットの長編を思い起こさせもしました。とっても素敵な作品なので、もしも全国公開の折には、皆さん是非ともご覧になってください!
(作品紹介URL)
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=13
さて、上映が終了した後にちょっとしたサプライズが。なんと今回の映画際に合わせて、アパシャン監督と作品のプロデューサー氏、そして主演のアンドレイ(役と同じ名前)とミーチャ役のセルゲイの4人が来日していたのです!
それで記者会見などが催され、観客参加での質疑応答、フォトセッション(一般人はダメ。報道用)があり、作品を理解する上で大変重要なお話を、製作に関わった御本人たちから直に聞ける、貴重な機会を得たわけでありました。
実は開場前に入り口で並んでいたときなのですが、我々の前を通って、一足先に入場する彼らを見かけていたので、まさかと思ってたところです。もちろん映画を観るまでは本人だとは知らなかったわけで、「多分、そうじゃねぇかな?」と予想してただけですが(笑)。
大勢の観客を前に、異常に緊張しているアンドレイ君が可愛かったですね。ミーチャはなんだか内輪ウケになってましたが、おかげで場が和んでとてもおもしろかったですよ(笑)。
しかしまあ、モニターが聞きづらかったのか、ロシア語通訳の方があまりにたどたどしく、時には監督に聞き直すなんて場面も一度や二度ではなく・・・。監督以下、「なんたることだ!?」てなリアクションまで見られました。
なんとまあ、“あの方”が亡くなられた穴の大きいこと!とは言え、今こそ仕事を獲得するチャンス。今日の方、これから是非ともがんばってください。でも、もともとそんなに需要がある分野じゃないかも?
@ちぇっそ@