「オコナー短編集」

オコナー短編集 (新潮文庫 オ 7-1)

オコナー短編集 (新潮文庫 オ 7-1)

39歳で早世した南部出身の女流作家、フラナリー・オコナーの短編集(新潮文庫)。カトリックの家庭に育ち、信仰と戒律、保守的な社会環境の中で独自の観点を見出し、リアリズムとペーソスに溢れた作風で、近年再評価と研究の対象になっている稀有な作家です。
人種差別やカトリシズムの保守本流の中で、けれんみのない人間模様を描き出し、そのあまりに赤裸々な描写は、ともすればあまりに厳しい現実の姿をのみ描き出しているように思われるかも知れません。
しかしそこには生真面目さ故に生じる喜劇があり、もしかすれば明日のわが身に降りかかる、ちょっとした不幸の予知夢がそこに見られるかも知れないもの。ありふれた光景なのに、何故かそこから目が離せないと言ったような、下世話な好奇心を駆り立てるような身近な感覚があるのでしょうね。
もちろん「南部」の風土は日本に住む我々とはちがった境遇にあるでしょうが、しかし田舎出身の私は、個人的にはかつて実家で繰り広げられていた光景を思い出さずにはいられません。私の実家も保守的な場所で、今はそれほどでもありませんが、そう遠くない昔には人種差別の事実があり、その形跡は普段の生活に少なからず痕跡を残していたのです。
南部ゴシックと称され、どこか人間の暗い部分を感じさせるオコナーの作品は、私が感じている実家の雰囲気に非常に近いものがあります。それだからオコナーを読んでしまうのかも知れませんね(笑)
<収録作品>
「川」信仰に満ちた一編。無心論者の両親を持つ少年は、ひょんなことで神父の洗礼を受ける。それは彼に何らかの変化をもたらした。バラードやコンラッドの作品にあるような、原始回帰の願望を感じる作品。
「火のなかの輪」その無邪気さゆえ、コントロールできない子供の持つ恐ろしさを描いた作品。
「黒んぼの人形」偏屈な老人とその孫に当たる頑固な少年が、黒人の街で迷子になる。大人のずるさと子供の厳しさ。やるせない親子関係がある。
「善良な田舎者」聖書のセールスマンは、その女が義足であることを知ると豹変した。それまで善良だった彼が見せた狂気に、えもいわれぬショックを受ける作品。
「高く上って一点へ」黒人と白人は別にされるべきだとする母。全ての人民に隔たりはないとする息子は、母の前で黒人に親切にする。それが彼なりの母へ対する“試練”なのだった。
「啓示」敬虔できちんとしたタービン夫人が病院に行った折、とある娘の反感を買って本を投げつけられた。その帰り道で見た幻視は、夫人と同じく知恵と威厳を持った人たちから、それらが失われてしまった光景だった。
「パーカーの背中」刺青を入れることが人生の楽しみである男。いつも出掛けてゆく雇い主のところで、彼は事故を起こしてしまった。それがきっかけで彼はある決断をする。信仰と冒涜がいちどきにまみえるかの感覚がある。どこかジム・トンプスンの悪漢小説を思わせるところがある。

@ちぇっそ@