ルビコン・ビーチ

ルビコン・ビーチ

ルビコン・ビーチ

ティーヴ・エリクソン作の長編サスペンスを読みました!
主人公ケールが仮釈放される場面からスタートする。彼は非合法政治団体接触を持ったとされるため、投獄されていたのだ。監視員が見張る束縛された社会生活の中で、彼はある女と出会うことになる。その女とは一体何者なのか。以前に会ったこともあるようだし、また、ケールはそのヴィジョンの中で何度も彼女に殺されている。首をかき切られ、血にまみれた床を眺めながら、果たして殺されたのは一体誰であったのだろうか。彼は幾度も途方に暮れ、彼女の幻影を捜し求めることになる。不思議な女は、彼の何だったのか。または、アメリカの何たるかであっただろうか。
はっきり言って、いくらこの奇妙な物語のプロットを説明したところで、埒が明くと言うことはないでしょう。かく言う私も、正直、本作のストーリーをいまいち把握できておりません。
しかし!かようにしてイマジネーションに満ちた作品に対し、私如き凡人が驚愕の面持ちを抱くことに何の躊躇がありましょうか。
都会の雑踏。アメリカのスラムから、南米の土着信仰までを網羅して、現代アメリカの批判へと結びつける手腕は見事としか言いようがありません。いわゆる原始人の目を通して、アメリカ政治の解体を行っているようでもあります。
全てが策略に満ち、行動の因果関係がすべからず権力へと結びついてしまっているアメリカ社会を、正に根底から揺るがすような革命意識に則って作品が描かれているようです。
執筆の頃はロスの大震災後。文字通り「アースクエイク」が“世界の中心”を揺るがしたとき。実体験した人々は恐怖におののき、この世の終末が訪れたと感じたことでしょう。しかし、それは結局、アメリカのごく一部、ロサンゼルス限定の出来事だったのです。
危機感を抱いたのはロス市民だけ。遠く離れたニューヨークなどの大都市圏では、結局のところ対岸の火事程度に考えていたのではないでしょうか。「大国アメリカはたった一部が失われただけであり、その他の大部分は無傷であるからして、震災復興は速やかに行われ、経済振興には何の支障も来たさない!」とする、楽観的な風潮があったことは否めません。
しかし作家エリクソンは、物事の悪い面から目を逸らし、良いところばかりを強調しようとするアメリカ社会に対して、この頃から既に警笛を鳴らしていたと言うことでしょう。その予言的洞察は、当たらずも遠からず。預言者としてのエリクソンは確かに失格と言えるでしょうが、その視点は相変わらず興味深いところを突いていると言えます。
親身になってアメリカを心配する姿勢。それがエリクソンの行動力の指針となっているような気がします。古きよきアメリカを慕う心。しかしそれそのものが、「土着の民族を排斥して新興宗教を押し付ける」と言った面があるため、それ自体の意義を疑わねばなりませんが。
とは言え、自由精神の根本を見直そうとするエリクソンの、無鉄砲なまでの傾倒振りには思わずこちらの心までも揺さぶられるものがあります。「何もそこまで!」と思えるほど、無邪気に世間を心配して見せる作者の純粋さが伝わってくる作風と言えるでしょう。
ポストモダンと言ってしまえばそれまでですが、中盤からかなり南米マジックリアリズム的な幻想性が支配しており、現実とは違った“もうひとつのアメリカ”を、そこへ出現させることに成功しています。

@ちぇっそ@