今日もちぇっそはロシア帰り

今夜もソクーロフ特集上映のため、渋谷ユーロスペースへと馳せ参じました!
「プリップリン!」「プルンプルン!」
と、ローライズから半ケツを覗かせながら闊歩する、センター街のギャルたちをかき分けて、道玄坂の8合目付近(?)にある劇場へと向かったワタクシです。
新たに引っ越して新装開店したユーロスペース。以前の雑居ビル的なせせこましさからは一変。近代建築のモダンなギャラリーのような雰囲気のする綺麗なビルであります。
あまりにお洒落すぎて、男子トイレの小便器は横から丸見えになってしまいそう。それは言わば、ヌーヴォーの国おフランスコンドミニアムを思わせる、デザイナーズ建築の様相を呈しています。でもそれじゃあちょっと恥ずかしいので、混んでいるときには思わず後続に譲ってエスケープしてしまいそうな小心者のワタクシ!
「俺は、決してホモなんかじゃないから。お粗末な一物を晒して、いたいけな少年好きな中年の気を引こうなんて趣味、ありませんから!」
ま、そこら辺りは、私の罪の無い被害妄想の一端だと無視していただくとして・・・。
それでは、ソクーロフ監督自身が潜入ルポした、タジクにあるロシア軍駐屯地でのドキュメント、「精神の声 −第5部−」のレポートに参りましょう。
例えば、第4部にサブタイトルを付けるとしたら、それは「戦闘」と銘打たれたかも知れません。そしてこの第5部なら差し詰め、「帰還」と言ったところでしょうか。季節は冬。年の瀬も迫る、12月のタジキスタン山岳地帯での戦闘の模様です。
防衛線を張った国境付近。そこにはいたるところに地雷が埋め込まれ、敵軍の侵入を防ぐ役割を担っています。しかし同時に、それは自らも危険に晒すことになる諸刃の装置。しかし部隊は、そんな危険を賭して山の頂上へと上って行きます。何故なら、もうすぐ新年。高所で警備に当たる当直の兵士たちと共に、新年の年明けを祝うためだからです。
銃声も至る所で鳴り止まず、そんな状況の中で、束の間の平安を盛大に盛り上げようとする兵士たち。皆でピロシキの生地をこね、ケーキを焼いてシャンパンのコルクを緩めるとき。
「新年おめでとう!新しい希望の年、95年にカンパイ!」
声も高らかにカップをぶつけ合う、普通の青年たちの姿がそこにはありました。
最初は和気あいあいと語らっていた彼らでした。その内カメラには、ある一人の兵士が壁際にもたれて額に手をあてがってる姿が映し出されます。すると不意に、彼の目からは一筋の涙が零れ落ちたではありませんか。
「しっかりしろ!アイツの事は残念だったが、お前までダメになることはない」
戦死した友を想い悲しみにむせぶ男の、その悲痛な表情が胸を打つ一場面でした。
無事に新年を迎えられた者。あえなく殉死してしまった友。運命の分かれ道が、そのまま生と死と分ける現実の非情さ。それが生々しくも残酷に捕らえられていた場面でした。
彼らの一人が何気なく言った一言。
「95年の今年は、いったいどんな年になるんだろうね」
これは普段我々が口にするのとは違った、何か重々しい響きがその底辺に存在していました。今年で除隊する者がいる一方で、まだまだこの先駐在しなくてはならない新兵も数多いのです。
生きて任務をまっとうできるのか。自らの運命を見透かすかの、どこか霊感に満ちた一言として聞こえたのは、果たして私だけだったでしょうか。
ソクーロフは言います。
「ロシアへ還ろう!」
これは単に取材を終えた監督自身が、自宅のあるペテルブルグへ帰ると言う意味だけではありません。無事に除隊し、故郷への帰り支度を始めた兵士たちに呼びかけるねぎらいの言葉でもあり、未だ駐屯し、激化する戦闘に立ち向かう兵士たち向かって、
「お前たちも生きて還ってくるんだ。私はお前たちの魂だけでも、故郷ロシアへ連れて帰ってやるからな!」
と、悲劇の真っ只中にいる彼らに訴えかけるメッセージのようなものでもなかったでしょうか。
ソクーロフのこの現実を直視する視点が実に悲愴に満ちており、重くのしかかってくる事実の強大さに、思わず押しつぶされてしまいそうな感じがあります。実際押しつぶされてしまい、ぺしゃんこになってしまった肺からは、もはや言葉を発することも出来ない。
「ズドン!」
と体の真ん中に、大きな大砲で風穴を開けられたような気分になりました。ソクーロフ、恐るべし!ですね。
しかしまあ、当然緻密な編集作業が繰り返されたとは思うのですが、現実のドキュメントであるにも関わらず、これが実に“映画”として見事に成り立っていることに驚きを覚えると言うか・・・。
本当にドラマがあり、一連のストーリーが作品として完結している点に要注目ではなかったでしょうか。もちろん実際の出来事とは、かようにしてドラマチックであることの証明でもあるのですが、たとえばそれをありていに他人に話したとしても、当時その場に居合わせたのでないと実感できないことを、実体験者の視点で見事捉えることの出来た、類稀なる映像作品ではないかとも思った次第。
映画を“観る”と言うより、“体験”したと言った方が正しい感覚がありました。時間の過ぎる感覚が、映像の中の兵士たちが体感している速度と見事にリンクしていて、「1分は1分の長さ。1時間は1時間の長さ」に感じられた点が脅威的でした。
退屈な映画を観ると“長い”と感じ、おもしろい作品は“短い”と感じる。そのような相対的な感覚を超越して、「長いのに短い。短いと思ったが、やはり長かった」と言ったような、この不思議な感じはちょっと言葉では説明できないところです。
長回しで、ある光景の1点だけを集中して捉え続ける。この時間は確かに長く感じるのに、映画が終った後には、「あれ、もう終ったの!?」と思える、正に“ソクーロフ・マジック”がそこには存在していたのかも知れません。
率直に言って、この作品は凄かった!と、宣言する他はありませんね!(笑)
後記:後日談と言うわけではありませんが、この作品の背景を確認するために、少しばかりネットで検索してみました。するとどうやらこの後、国境警備隊第11駐屯地に残ったロシア兵士たちの大半は、残念ながら戦死してしまったとのことでした。
これを読んだ時はさすがに戦慄が走りました。ロシア映画普及のためには、「凄くおもしろいから、一度気軽に見てみなよ!」と言いたいところですが、今度ばかりは、「本当に重い作品だから、覚悟して観ろよ!」と思わず語気を荒くしてしまいそうなところではあります。
いやしかし、真に素晴らしい作品だと思うので、機会があれば是非一度拝見することをお勧め致します。第1部からまともに見ると、なんと5時間を越えるそうですが!ビデオにもなっていますが、レンタルで置いているところって見たことないですね。(全巻買うと5万円くらいしたはず)

@ちぇっそ@