ソクーロフ祭り開幕

今日はお店を閉めてから、とある映画を観に渋谷くんだりまで繰り出しました。
先週末の土曜から開幕している、「アレクサンドル・ソクーロフ特集上映」のため、渋谷ユーロスペースへと赴いたと言う次第です。おととい昨日と上映していたのは、ペテルブルグ建都300年を記念して製作された「エルミタージュ幻想」でした。この作品は既に拝見済みだったので、お金と時間がない(割り合いにして9:1ですが)ので、今回はスルーしました。
本日上映されたのは、「精神(こころ)の声 −第4部−」です。もちろん第1部から続く連作長編なのですが、この度の特集ではその内の後半に当たる、4部と5部のみの上映となります。
撮影時期は1995年頃のロシア国境。国境警備隊第11駐屯地からタジキスタン内戦へ出兵した部隊に、ソクーロフ監督自らが密着したドキュメント。第1部では、戦場で散った兵士たちへのレクイエムと言える実験映像から始まるそうですが、この第4部では、いよいよ戦火が激しくなる、「戦争本編」と言える壮絶な戦闘シーンが映し出されています。
もちろん第5部まで全てを鑑賞しないと、正確に帰するレポートは書けないところなのですが、とりあえずのメモ程度に、これまで見た感想などを述べておきたいところ。
最初は比較的まったりとした導入から始まります。それは塹壕を掘ったり、飯ごうしたり、または連隊の号令を取るシーンなど、戦地では毎日のごとく繰り返される“日常”の数々。しかし既にこの時点で、これが現実とはにわかには受け入れ難い。平和そのものと言える日本に住む我々の感覚からすると、まこと信じられない光景がそこにはあるのです。
少し前、私はテレビ放映されたフランスの外国人部隊で活躍する、日本人兵士たちの姿を見る機会がありました。ロシア人やヨーロッパ各地から集った兵士が入り乱れ、実践に基づいた訓練に勤しむ様子が映し出されていました。その時もまた、現在進行形の出来事として繰り広げられている日常であることに驚嘆した覚えがあります。
ソクーロフ監督のカメラ越しには、本当の戦場が展開しています。訓練で得たノウハウを実地に移すとき。しかしそこには、一切英雄的な美しさや逞しさなどは存在しないのです。監督自身が挿入するナレーションに、そのことが端的に言い表されていました。
戦争に慣れない(と言うか全く体験していない)私にとっては、本物の爆撃の様子に戦慄以外を覚えるものではありません。しかし当の軍人たちにとっては、これもまたよくある日常。きっと退屈な迫撃戦の中で、またいつもの防衛指令が下されるだけなのでしょう。
外人部隊の日本人幹部も言っていました。「真面目すぎるヤツは、ここではやっていけない」適度に力を抜きつつ、いかに状況に応じた行動が取れるかが、最前線で生き残る秘訣だと言うのです。個人の持つサバイバル能力遺憾によると言うことは、現代社会に生きる私にとっても、実に耳に痛いお言葉ではありました。
突然始まり、不意に終了してしまう戦闘。それは相手の戦力を見るための試験的な攻撃だったとも言えますし、「敵はお前たちの直ぐそばにいるのだ!」と言う、威嚇するための牽制であったとも言えます。第一の攻撃の後には、必ず第二の攻撃が控えています。果たして、タジク(タジキスタン)の戦線に駆りだされた部隊は、無事に生きて帰還できるのか!?第5部が非常に待ち遠しいところです。
はっきり言って画像は見るに耐えないほど粒子が粗いですし、シナリオなどがないために、全く偶発的に事件が起きるままに撮影されています。しかし、ここにはなんと言うドラマがあるのでしょう!恐らく編集も最小限に抑えられて、基本的に時系列に沿ったドキュメントであるはずなのに、もはやひとつの作品として成立しているかの趣きがありました。
しかしまあソクーロフって映像作家は、なんて個性の強い人なんでしょうね。潜入ルポのはずなのに、しっかりと自分の個性をその映像に刻みつけている点はさすがです。シュールで示唆的。単に記録としてフィルムを回し続けたのとは違う、正に“精神(こころ)の声”が聞こえてくる一本でした。
明日もまた渋谷へ行きます。しばらくはこの状態が続きそうですね。渋谷って、進んで出かけるにはちと腰が重たい場所なんですけれども!
※ビデオは出てるはずなんですが(青山ブックセンターで見たことあるぞ!)、上手く検索に掛からなかったので、ソクーロフ関連本で勘弁!

@ちぇっそ@

ソクーロフとの対話―魂の声、物質の夢

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