望楼館幻想

エドワード・ケアリー「望楼館幻想」を読みました。
その昔「偽涙館」として栄華を誇った大邸宅。しかし現在はすっかりと落ちぶれて、そこに住むのはかつての残滓を背負いながら、社会の底辺にしがみついて生きる奇妙な人々だけ。貧しいながらも、外界からの邪魔を受けずに暮らしてきた彼らの下に、ある日、新たな住人が引越してきた。平穏な日々を脅かすと思われたその部外者は、次第に彼らの閉塞した心を解き放して行った。奇特な人々が繰り広げる人間模様。不思議な味わいのある幻想つれづれ物語。
主人公は蝋人形館で“蝋人形”として働くフランシス・オーム。彼は奇妙なものの蒐集家であり、その収集したものを展示する博物館の学芸員でもあります。廃人同様の両親の面倒を見て、孤独であることに満足する世捨て人。
元教師のピーター・バッグ。一日中テレビばかりを見て過ごす、ミス・ヒッグ。ポーター(門番)とだけ名乗る門番の男。そして犬にしか心を開かず、また犬そのものの行動を取る、“犬女”トゥウェンティ。この望楼館の住民の中へ、ある日アンナ・タップと言う新たな血肉が加わることから、それまで変化することを拒んできた彼らの生活が一変するのです。
一見すると何の他愛もない日常のエピソードの積み重ねなのですが、実はそのひとつひとつが緻密に計算されており、望楼館の成り立ち、奇特な住民たちの過去が次第に明らかになって行く様は見事。
個性溢れる登場人物の人物像が生き生きと語られ、さらにひいてはそれらが渾然一体となり、めくるめく幻想的視野に満ちた楽しさ溢れる絶品の物語となるのです。
やはりここいら辺りはSF読みである私の観点から言わせてもらうなら、ブラッドベリの「火星年代記」や、マクドナルドの「火星夜想曲」辺りの、都市遍歴の物語を思い浮かべるところ。それも、これらの古典SFの終焉である、すっかりと都市が錆びれてしまったところから始まる物語。
ダメ人間たちが、今にも崩れ落ちそうなマンションに住まって、建物の老朽化と共に自らも滅び去ろうとしている情景。涅槃寂静の趣きを感じさせる侘び錆びがあります。
とにかく読ませる文章が抜群。難しい表現など一切ないのに、めくるめくイメージの奔流に溢れ、正に言葉の魔術とはこのことを言うのでしょう。
ラストがまた秀逸。登場人物たちの想いが一気に噴出するかの如き事件が起き、そしてそれまでの紆余曲折を今は昔の追想へと変換させて、なんとも情感に満ちた余韻を残して終焉します。
この辺りは本当に上手かったですね。長い物語を読んできて、ここに来て「まだこの幻想に浸っていたい!」と思わせるほどでしたから。
まあ、あまりに美しく“ニート”を描くものだから、途中で「へぇ、すかしてらぁ」と思う場面もありましたが(笑)、そこら辺は私の屈折した偏見と言うことで無視してください。
マジックリアリズムポストモダン。様々言いようがあると思いますが、良質の幻想文学が読みたい向きにはうってつけではないでしょうか。社会生活に疲れた現代人にも共感できる夢見に溢れた一冊でした!

@ちぇっそ@

望楼館追想 (文春文庫)

望楼館追想 (文春文庫)