フョードル・ちぇっそエフスキー

お前は見すぎ

いやぁ、本日は特に特筆すべき出来事は何もございません。まあ、いつも通り仕事で被った災難を並べ連ねても、そんな愚痴はもう聞き飽きた!ってな具合でしょうしね。(ま、相変わらずってことです)
そんな中で、やっとこさドストエフスキーの「白痴」の上巻を読み終えました。ここらでひとつ、その当たりのまとめでもしておこうかとも思いましたが、もう眠いので辞めにします。
近いうちに、走り書き程度の書き込みをするかも知れませんが、それでも大部な長編であるため、もう一度最初から読み直さなくては、話の道筋をちっとも思い出せない可能性すらありますからねぇ。
事実、相当に込み入った話である一方、物語としての整合性や、作品としてのまとまりが、既に現時点で破綻しているのですけどね。
語って語って語りまくる!そう言ったカタルシスは確かに存在します。そのあたりの、ある種下世話な俗っぽさが、ドスト氏の一番の魅力でもあるのですが!
それにしても、人にものを教えることの疲労感と言ったらないですね。いくら良くできる弟子がいたとしても、それが“もの”になるまで面倒見るってのは、全く、生みの苦しみとでも言うのでしょうか。心血降り注いで働くこととは、また違った疲れを覚えるものです。
いやぁ、その点昔の人は良くやったものですよ。
「習うより、慣れろ!」
これって、裏を返せば「俺は教えねぇから、おまえは“見て”覚えろ!」って言うことの逆の言い方かも知れませんね。職人気質な名人は、有望な後継者育成よりも、自分がより良い仕事が出来るよう、作業に専念することの方が大事だったのでしょうね。
私もこんな一言を言ってみたいもんです。
「俺を越えたきゃあ、技は見て盗め!」
ってね!

@ちぇっそ@