群盗荒野を裂く

例えば、セピア色の格子越しの倉庫

メキシコ革命の激しい戦火。満員電車が盗賊に襲われる。護衛に当たっている政府軍が反撃に出るも、地理的優位に立つ群盗の前には為す統べがなかった。政府軍を粉砕、見事武器の奪取に成功。それらを革命の指導者、エリアス将軍に売りつけている密売人たち。そんな混乱の中、列車に乗り込んでいたアメリカ人ビルは、盗賊のリーダーであるチュンチョと兄弟の契りを交わすこととなる。ビルを仲間に加え、気心を許すチュンチョであったが、その新入りアメリカ人の考えんとするところは、いまだ明らかではなかった。革命気運に浮かれるチュンチョ。アメリカの友の真の目的とは、果たしていかなるものであったのか。
マカロニ・ウェスタンの流れを汲む、基本的には西部劇と言うことになるでしょう。しかし、そのような狭義な分類を超え、一大冒険活劇として類稀なるエンターテインメント性に長けた大傑作であることを、始めに宣言しようではありませんか!
政治的・歴史的にも、メキシコ革命の興った衝動的な部分さえ感じさせる、壮絶なるリアリティを感じさせる作品であります。庶民のレベルから時代背景が語られており、伝わる“熱い想い”が、人々の決意のほどをうかがわせ、その真剣さに押しつぶされる思いです。
ともすれば、アクションシーンだけに重点を置く、マカロニウェウスタン由来の美学。しかしこの作品は、そんなカッコよさだけを追求したありていの西部劇とは、一線を画す社会派の様相を呈しています。
豪快な盗賊たちの日常、奔放な女たち。そんな人間ドラマすらも、メキシコと言う歴史の一端を表す重要なファクターであるのです。メキシコの歴史は、メキシコ人そのものが体現していると言えるのではないでしょうか。むせかえるほど人間臭い彼ら自身に、メキシコと言う国が支えられているのではないでしょうか。正に運命共同体といえる親密さ。「ビバ・メキシコ!」と言う言葉は、それを端的に表す念仏のようなものと言えるでしょう。
と、思わず少し脱線しましたが、熱いメキシコ、陽気なアミーゴたちの魅力が、今作に充満していることがお分かり頂けますしょうか。人生を謳歌し、確かに刹那的ではありますが、超自然的に世の中を見据えるメキシカン。そんな中に紛れ込んだアメリカ人は、理知的で合理主義的な存在として描かれています。
常に冷静沈着で計算高い、これぞ資本主義のセオリー。不気味なアメリカ人ビルの陰が、作中の緊張感を否応なしに高めている点は特筆に価するところ。メキシコ人とは対照的に描かれる米国人の姿。反面教師的に、メキシコの古き良き魂を再認識させるようです。
くされ縁で持ちつ持たれつ、しかし盗賊のリーダーであるチュンチョは、健気にも彼との友情を信じるに至るわけです。微妙に裏切られたりするわけですが、この切ない感じがなんとも堪らない情感を醸し出しています。
しかし、さすがのアメリカ人と言えど、このチュンチョの捨て身の信服に時として心揺さぶられる場面もあるのです。ところが結局彼はアメリカ人なんですね、この二人の間に決定的な亀裂が生まれるわけです。
そして訪れる最期!このカッコ良さ、いかにもラテン的な結末の付け方に、いたく感動した次第にあります。これほど見事なラストを持つ作品と言うにも、滅多にお目にかかれないのではないでしょうか。ここに映画の真髄があるのではないかと、大げさにもそのように進言して止まない次第です。
いや、もはやこれ以上の礼賛は申しますまい。語れば語るだけ後は陳腐になりましょうぞ!しかし、見終わって“涙と笑顔が同時に出る”と言った経験など、滅多に味わえるものではございません!
泣ける映画がお好みですか?予定調和を信仰していますか?確かに、この映画はその全てを内包しているかも知れません。しかし、人を描かずして一体何が映画でしょうか。ここには、その全ての諸行無常があります。歴史の一部と、あらゆる人生の一端が映し出されているのです!
難しいことを延べ連ねたかも知れませんが、この映画は非常に楽しいものです。見る人に勇気を与える力を持っています。魅力的な登場人物に終始引き付けられることでしょう。ラテン的な陽気さとキュートさに満ちた本作、機会があれば是非ともご覧になることをお勧めしたいところですね!(これでも随分控えめ申しておるんですよ!:笑)

@ちぇっそ@