マイナスを埋めるために奔走する私

今朝起きた私は上機嫌。昨日の病気マン単独公演〜病気飲み会へとなだれ込み、これでやっと公私共に病気ファミリーの一員に加わったことを実感できたのですから!それに今日は念願の「ウォッカ・トライ」と言う、世にも恐ろしげなアルコホールフェストが控えているのです。
本家本元ロシアはもちろん、旧ソ連統治下にあったベラルーシウクライナ辺りの珍しい直輸入ウォッカまで試飲できるのです。どうやら噂には、唐辛子入りウォッカなるものまであると言うことで、これは事前にウコンドリンクでも仕込んで、肝臓を「スーパーサイヤ人」にしておかなくちゃなぁ!なんて期待に胸膨らませておりました。
出先の住所をネットで検索、さて、家賃も払わなくちゃいけないから、お財布の中身を確かめておかないと。おもむろにサイフのチャックをひらいてみたところ、
「あれ?昨日、9万円卸したんだよなぁ。病気マンライヴと飲み会に参加して、総額で1万円ほど使ったはずなのに、なんで1万円札が“9枚入ったまま”なんだ!?」
昨夜高円寺に着いた時点で所持金は500円。近くの銀行で家賃ごと引き落としてきたので、およそ8万円になっていなければならないはず。一瞬ワケが分からず、まさかATMが金額間違えて出すわけないし、機械の故障なんてのも考えられない。と、なると?
そこで突然ひらめきました。「もしかして、飲み代出すときに“払った気になって実はお金を出していなかった”のではないか!」と。
実は飲み会のとき、終電が迫った私とK氏は、病気マンとセロトニン女史のゴキコンファミリーより先にお暇するため、テーブルの上に少し多めに御代を置いて帰ったのでした。いや、御代を置いた“つもり”でした!ところが、小銭を持っていなかった私は、「でかいのしかないなあ」などと言いながら、サイフのお札をちらつかせただけで“払った気になって”いた模様。
これは一大事!病気マン会員NO,1214を語る私が、まさか病気マンに飲み代を“奢らせて”しまうとは、ファンクラブ会員としてあるまじき行為!なんとかしなければいけなかった私は、しかし彼の連絡先を知らない。そこで不躾ながら、病気マンと時々コンタクトを取っているK氏に協力を仰ぎ、件の胸を病気マンに連絡してもらうことにしました。
一方の私は、病気マンが勤めている南青山の某ライブハウスへと赴いてみることにします。あわよくば仕事中の彼にお金を渡すことが出来るのでは?と言う淡い期待を抱きながら。
幸い本日開催される「ウォッカトライ」の会場は、その某ライブハウスよりほど近い四谷三丁目にあります。「まあ、少しだけでも参加できたら万々歳だろう」先ず持って病気マンにお詫びをしなければ、とてものうのうと酒など飲んでいられません。それどころか、明日の自身のライブにも、集中して挑むことなどできません。
人の良い病気マンとは言え、このようなお金がらみの些事とあっては、さすがに憤慨しているやも知れず。私はまんじりともしない心持で電車の中を過ごします。
しかし、まだ寝ているのか。K氏からのメールでは、未だ病気マンから連絡が来ないとのこと。これがもし“怒って返信しない”のならどうしよう。などと、私の思いはネガティヴな方向へと向かうばかり。ようやく南青山へ辿り着き、お店の看板を覗いてみますが。
ありゃ、まだ開いてない!もしや今日は休業日なのか?それを確かめにコンビニへ行き、チケットぴあなんぞのぺージを捲ってみます。いや、今日は間違いなく営業している。あとは病気マンが休暇でないことを祈るのみ。
しかし時間は刻一刻と迫る中、相変わらず事態は進展せず。今夜演奏するバンドはなにやらリハなどはおざなりに済ませそうなメンツ。(念のため、上手いがためにさっくりとリハをしそうなバンドって意味です)こうなったらしかたがない、一先ずはウォッカ会場まで行って、会場ギリギリまで出勤がないのであれば先にウォッカを引っ掛けてから行くしかないな、と思いました。
実際会場となるビルまでやって来ましたが、こんな不安な気分で酒を飲む気にもなれず、ましてや、酒の席での失態。ここで酒を飲んではまたしても同じ過ちを犯してしまいそうで、恐くて飲んでなどいられないといった方が正しいでしょう。
とそこへ、ようやく病気マンに連絡が取れたとの一方が入ります。
「今度会ったときでいいですよ」
とのありがたいお言葉を頂戴したのですが、今度会ったときじゃあ、こちらが生殺しだ!3時半に出勤すると言う彼に直撃して、心のわがかまりを解消しなければならぬところ。早速また出戻りをし、地下鉄をライブハウスまで乗り継いで行くことにします。
すると改札を出て、地上へ向かう階段に足を掛けたところで、ちょうど前方に病気マンその人を発見!こうして私生活にお邪魔するのも申し訳ないと思いつつ、仕事場へ向かう彼をキャッチすることに成功したのです。
「ホントにごめん!酔った席とは言え、非人道的過ちを犯してしまった。申し訳ない!」
と、謝罪を述べる私。そんな私にやさしく声を掛けてくれる病気マン。
「いやあ、あんまし覚えてないんですよね。実はいくら払ったかも記憶にないくらいで」
私はてっきり、レジの手前でお金が足りないのに気づき、それに気づいた店員につかまり、無銭飲食の罪で無償の奉公をさせられでもしてないか。とにかくそんな事態を非常に恐れていたのです。しかしさすがにそこまで切羽詰った財政状況でもなかった病気マンは、普通にお金を払い、「なんか使い過ぎたなあ」などと、いぶかしみながら店を後にしたと言うこと。
とりあえずは一安心。しかしもって、信用問題に関わるので、ともすれば「お金返して解決!」などと簡単にはいかぬ深刻な出来事でもあります。下手をすれば“病気マンライヴ出入り禁止!”となる事態も考慮に入れなければなりませんでした。普通なら、病気マンのほうがライブハウスより“出禁”を言い渡されることが多い世の中。逆に私が最期通告を突きつけられるところでした。
いやはや、ほんとに焦った一日。それでは、気を取り直してウォッカフェストに行ってみましょうか。閉演までにはまだあと1時間半ある。それだけあれば、充分にウォッカの濃度が体全体に染み渡るはず。
と思い、再び訪れた開催会場。今度は所在地を確認するだけでなく、ロシアで「炎の酒」と呼ばれる、その禁断の地へといよいよ足を踏み入れます!
そこは普通のオフィスビル。むべなるかな、エレベータで各階に降りてみると、正しくそこは、こじんまりとはしているものの、ワイシャツにネクタイ、そして上下三つ揃いのスーツの香り漂う旧式ビル。耐震設計など、いまどきの基準に満たないような都会に佇む老木のような空間でした。
実は何回で開かれているのかド忘れしてしまった私は、とりあえず片っ端から各階を回ってみていたのです。そして3階まで辿り着いたとき、どうやら該当するらしき一室の正面へと面と向かうことができました。
扉は開けっ放し。人声にぎわしく響くその奥に、まるで桃源郷のような甘美な世界が広がっているのです。近くまで寄ってみると、ウォッカ特有のなんだか青臭いような、鼻にツンとくるスピリッツ独特の香りが漂って来ます。受付のカウンターには、無造作に転がった紙コップの残骸が、ジャクソン・ポロックのようなモダンアートを形作っているではないですか。
「ここに間違いない!」
しかし、既に宴もたけなわ。出来上がった酒の民の中に、一人シラフで入ろうとするときの緊張感。もし仮にここでカウンターのお姉さんに見つかり、
「あら、いらっしゃいませ。お名前をうかがってよろしいでしょうか」
なんて声を掛けられようならまだしも、そこには誰もおらず、ましてや酒宴の行われているのは、入り口から直接見えないように部屋の真ん中辺りからパーテーションで区切られているのです!
「ここを、私がたった一人で切り開かねばならぬのか!卵が先か、(佐藤)玉緒が好きだ!(とは言ってない)」
このような危機的状況。それは、ハリコフで前線を敷いたソ連軍が、独軍の強大無比な機械化装甲師団に立ち向かうのと同じくらいの困難がつきまとう。季節は泥濘期を迎えており、悪路に阻まれ、とても後方からの支援物資は期待できない。
どうする。どうする?南部正面軍総指揮官“チェッソ・モッサヴィチ・バウンダリスキー!”
スターリン同志率いる「最高司令部」からの伝令は、「現状を維持しろ!1ミリたりとも後退することは許さぬ!」と言う冷酷無比なものであります。
しかし私は、とても勝ち目の無い戦を前にし、インパール作戦により旧ビルマに進軍、インド国境までを陥落させようとした、日本兵たちに見舞った凄惨を極めたドラマ。熱帯のジャングルに屈し、飢えと熱病に苛まれながらも、「日本帝国軍」の“行け行けどんどん!”の命令に背き、配下に連なる何万の部下たちの命をかんがみ、部隊の総撤退を敢行。軍事審判的に言うならいわゆる“敵前逃亡”を企てた、とても銃殺など免れぬ、勇気ある決断を下した師団長の大英断に倣うより他がなかったのです!
と言うわけで、いろいろな知識、形容を駆使してお送りしましたが、とにかく、とても中へ入れるような雰囲気ではなかったのです。パーテーション越しに伝わってくる「和気あいあい感」。ここにシラフの新参野郎が紛れ込んだのを想像してください。確かに歓迎はされるでしょうが、明らかに場を中断してしまった闖入者に、一時は白けムードが漂うでしょう。
虎穴に入らずして、既に村八分となった私に残された選択はただひとつでした。と言うわけで、ここは泣く泣くウォッカ宴会場を後にしてしまったと言う次第なのです。
「あのパーテーションの高さが憎い!」
1988年当時に世界記録保持者だった、スウェーデンのパトリック・ショーべリですら越えられないほど高い、走り高跳び世界記録に匹敵する超高層建築のように思えてきました。
もし仮に、当時世界最高性能を誇り、あの独軍をして、その姿を見せただけで部隊全体を震え上がらせたと言う、ロシアの“鬼戦車”T-34(ロシア語で戦車は“タンキ”だ!)のような突進力が欲しいと思った瞬間でした。だったら、あの忌まわしきパーテーションを力技で粉砕できたことでしょう!
と言うわけで、失意の底で帰宅の途に着いたワタクシであります。まあ、それも致し方なし。酒の失敗を酒で紛らわそうとは、それは虫が良すぎるというもの。
と言いますか、その頃には既に飲酒の意気込みさえ消えうせてしまっていました。まあ、しょうがない。ダメなときゃダメです。こんな日もあるってことですよ。今日は大人しく、禁酒の緘口令を敷いて、極めて静かな夜を過ごした私でありました!

@ちぇっそ@