会社へ向かうもうひとつの方法

二日酔いの朝である。すえた芥子ガスのような息で目覚めを迎えた。
偏頭痛を伴う頭をもたげ洗面所へと向かう。まるで頭蓋骨の内側で、ゴルフボール大の鉄球がグルグルと回転しているようだ。グィーン、グィーン。
またはこんな感じ。ガダーン、バラーン、ギーンゴーン!
ちょっとだけ早く出勤して、西船橋で簡単な食事を取る事にする。朝粥でもよかったのだが、無性にコーヒーが飲みたかったので、喫茶店の方へ入店。
はい、モーニングセットの一丁上がり!サラダ、トースト、コーヒーには黒砂糖を少々。
食べ終わった私は、エーコの「前日島」のページを閉じ、駅のホームへと向かった。すると、どうだ。構内の表示板がおかしい。これはもしや人身事故の発生?
しかしいつもの習慣で、自動人形となっている自分の足は歩むことを止めず、慣性の赴くまま、いつもエレベータにのっかってしまう。
どうやら今朝方大きな地震があったようで、その影響で徐行運転を実施しているとのアナウンス。お陰で運休となったダイヤが多数。ホームでは、少ない本数の電車に乗るべく、我先にと押し寄せる人ゴミでごったがえしていた。
ちなみに地震とは、英語でアースクエイクという。地球が煩っている偏頭痛のようなものである。ガダーン、バラーン、ギーンゴーン!
目の前の状況は分かっていたが、自動装置であるエレベータに運ばれるまま、私は為すすべなく、フンづまりとなっている降り口へと勝手に押し出されて行く。
その後に続く烏合の衆。もはやアリ一匹立ち入る余地すらないホーム上では、押し合いへし合い、人間という原子が寄り集まって、より大きな人間の結晶へと成長する為の化学反応が巻き起こっていた。ギュウギュウ!
エレベータから、腸詰のように次から次へと送り出されてくる人体。このままでは遂に飽和点に達し、端っこにいる人物はところてんのようにホームから押し出されてしまう。更にビックリ仰天!ホーム下には、いともた易く人命を奪う事ができる、細長い精肉器が待ち受けている。
ニワトリを“しめる”かのように、巨大な精肉器の到着に合わせて、「プチップチッ!」と揃えた雁首が刎ねられてゆく。そしてレール上には、解体された首無し死体が横一列に並ぶのだ。これにて人間ミンチの出来上がり!
まったくもって冗談ではない。こんな地獄のまな板の上で、おちおちと精肉器の到着を待ち侘びるほど暇人ではないのだ。なんとかして来た道を戻ろうとするが、既に半ばまで結晶化が進んだ人間の一団に阻まれ身動きが取れず。
悪魔の宝ものといった様子の、淀んだ川の対流に似た人間の集団の中から悲鳴があがる。
「イタイ!」「押すな!」「どこ触ってんのよ!」「このハゲ!」「オオ、美智子!生キ別レタカト思タヨ!」「ああ、ジェンキンス!17年ぶりね、会えてうれしいわ!」
などなど、中にはこんな感動的な再会も。プゥーティーウィッ!?
やっとの思いで引き返すことの出来た私。今日はもう、ここからの電車はあきらめ、歩いて会社へ向かうことにする。
しかしながら今日は小雨がパラついており、よりによって私は傘を持ってくるのを忘れていた。よっぽど売店で傘を買い、長い道中のお供に添えようかとも思ったが、どうにもそんな小銭を払う気にもなれない。
そもそも日本人というものは傘を差し過ぎである。「道中の点検」というロシアの映画では、傘も差さず、大雨の中でたたずむ将校の印象的な場面がある。
なのでここはひとつ欧米式に、更に言えばロシア式に、少々の雨なら濡れて行くことにしよう。
会社までの距離が果して何マイルあるのかは分からないが、時間にしておよそ40分。これは過去にも何度か歩いた事があるのでとっくに計測済み。「てくてく、てくてく」に要する時間である。
線路の高架つたいに歩いて行く。てくてく、てくてくである。
狭い路地に入り込み、物流倉庫の脇を通り抜け、首都高の上を通る陸橋を渡り、目指すはマイカンパニー。雨足がこれ以上、強くも弱くもならないのがせめてもの救いだ。
汗が上気し、早くも漂う夏の雨の香りにむぜぶ。
あっという間に過ぎてしまった春の陽気。薄明かりを透かして見せる、ちょっとだけあわてんぼうな梅雨の雲が高架の間から覗いている。やあ、こんにちは!
変化に富んだ道。林道のようにうねる抜け道が、仕事場へと向かう重要な本線となっている。
私は団地の中でも突き進んで行く。会社の寮であろうそこには、ところどころに植林が為されている。
雨にそぼる柳に見とれながら歩く内、いつの間にか行き止まりへと来てしまった。当然、そこからはまた歩いて元の道へ戻るのだ。てくてく、てくてく。
本線へ復帰すると、そこに売店を発見。ちょっと休憩、ジンジャーエールを1本。スカっと爽やか!
ちょっとした二日酔いの明けに、既に徒歩半時間。もはや披露困憊、もつれる足がモタモタ、ヨチヨチ。やっと歩けるようになった1歳児、身長180センチメールの赤ちゃんである。おめでとう!
とうとう会社の最寄駅まで到着。そこからは最後の直線を残すのみ、全長1,200メートルのラストスパート!
歩きなれた道を進んでいると、前方に何やら落し物らしき物体。私が近寄って見てみると、それはエロ雑誌のピンナップポスターだった。
折れ曲がった3つ折りを広げてみる。白い柔肌、腰をくねりとひとひねり、プリンとお尻が、ウ〜ン刺激的!
私の尊敬する作家の、私のお気に入りのフレーズがある。さしづめこのようなシチュエーションで使用しても違和感はないのだろう。それはこんなセンテンス。
「転がるドーナッツと、おまんこしろ!」
それでは私は別の視点から、私なりの言葉で表現してみよう。これが私の場合。
「道端のピンナップに向かって、おっ立てろ!」
普段であれば駅を4つ、2回の乗換えを経て辿る朝の出勤。本日は思いがけず、途中駅から歩いて40分に渡る小旅行の敢行となった。高速移動の箱車を利用しない、何か別の人生を歩んできたような感覚がある。
喉はカラカラ。ジンジャーエールの一滴は既に底を尽き、自動人形の足にまかせてやっとの思いで会社にたどり着いた頃には、また口の中が芥子ガスで充満していた。
のんびりと別の人生を歩んでいる間に、1歳児の赤ちゃんだった私は、一気に60歳も歳を取ったということだろうか。
プゥーティーウィッ!
今回これを執筆するに当たって、私の好きな作家の言葉をひとつ、そのまま拝借させて頂いた。注釈して引用したものに関してはその由ではないが、その他のものに関して無断で借用したと思われてはいささか心外であるので、ここできちんとエクスキューズを入れておくことにする。
そのセンテンスは、確かある種類の小鳥の鳴き声だったと思う。またはそれが間違いというなら、アメリシマリスの泣き声だったかも知れない。
それはこんな泣き声。
プゥーティーウィッ!?

@ちぇっそ@