ゴミ箱の消えた日

その前兆は、朝のコーヒータイムのときからあった。
出掛けに、千葉テレビの占いコーナーにて、本日のラッキー星座であると診断された私。肌寒くはあるが、晴れやかに澄み渡った青空の下、意気揚々と駅へ向かった。
時間も早めに、乗換駅でいつもの喫茶店に入る。
「Aセットで」
「お飲み物は何になさいますか?」
ブレンドで」
「お砂糖とミルクはお使いに。。。」
「あ、ハイ」
「では“ミルク”だけですね」
「。。。(はン!?)」
あまりに突然の切り返しに否定することもはばかられ、日頃アルコホールの過剰摂取に蝕まれた肝臓を休ませる為にも、ここはひとつ無糖コーヒーでもたしなんでおくか、と気持ちを切り替える。
今日の席は初めて座る位置。
窓からのぞむことのできる、枯草の生い茂った草原に、途中で切れた鉄柱の突き刺さった、コンクリの切り崩しが転がっている。どこからともなく現れた、青いビニルが風に舞い、錆びるにまかせた鉄柱にからみつく。
一陣の突風が襲い、小さな海の如く波打っていた青いビニルを、不意に私の視界から奪う。
風よどこへ行く。
抵抗することすらない青いビニルを、一体いずこへ連れ去ろうというのだろうか。
詩人、アルセーニィの情景が拡がる。
会社へ辿り着く。ウィンドゥズを立ち上げ、14インチのモニタに表示された、業務連絡の文書に目を通す。
始業直前、突如腹痛を覚える。
慌てて事務室のドアを開けた刹那、ある何某に声を掛けられるが、事態は急を要しており、情状酌量の余地無くかわやへと駆け込む。
使用頻度の少ない一階を拝借。心地良い腹痛と大安に、打ちひしがれることしばし。
その静寂を破って現れたひとりの訪問者。
取り乱した風の足取りで、私が「あッ」と思う間もなく、ノックもせず手に掛けられたドアノブ。
内鍵をしてあったそれは、「ガキッ」ときしみをあげ、手にした抵抗に感ずいた訪問者は、のこのことその場から立ち去って行った。
再び訪れる静寂。
一息ついて立ち上がり、内鍵を外し、いざドアを開こうかと思った瞬間。
「あン、開かなィ!?」
先ほどの衝撃で立て付けの悪くなったちょうつがいが、私の行く手を阻んでいる。
いや、手元をよくよく見れば、曲がっているのは鍵のほう。最後まで開ききらぬ鍵の先端が、すうミリの単位で私が行くのをイヤイヤしているのだった。
始業開始の時報が鳴り、このままではとんだ醜態さらしとなってしまう。
しかしあい変わらず捻じ曲がった鍵は、鍵止めに引っ掛かったまま、世間の鼻つまみ者に相応しい牢獄へと、私を閉じ込めておくのだった。
奮闘することいっとき。忘れ去られた流刑地で、生きながらに仏となるのかと覚悟を決めたその時、ようやく光明を見ることができた。少々遅延し、朝礼の群集の後ろへ着く。
再び事務室。
寒風にやられ、ぐずついた鼻。ネピアのちり紙をひとひらつまみ出す。
「ぐすん」と一声。
かつては夢も希望も溢れ、前途洋々たる情熱に満ちていたであろう体細胞の、今は疲れ果て、無残な屍骸となりて体外へ排出された透明な粘液質の、こびりついたちり紙をぶちゃろうと、上体をひとひねり、くずかごへと狙いを定めようとした。
ところがそこには既にくずかごはなく、白とグレーのまだら模様の絨毯が拡がるのみ。
「ブルータスよ、おまえもか!」
今日を吹き荒れる風に乗り、はるか森羅の彼方へと、私の下を去ってゆくのか。
手がかりはあった。
毎朝、掃除夫の老人がやってくる。おそらくその彼が、一時持ち去ったのであろう。
やがて戻ってくるだろう。51エリアの騒動さながらに、キャトルミューティレーションの餌食となった子牛のごとく、中身をぶちまけられ、皮だけになった模造の入れ物として。
そうしたらその中へと、私は自らの夢の残骸を打ち捨てるのだ。
しかし、待てどくらせど皮だけになったくずかごは戻ってこない。
そこで気付く。時刻は既に南中近く、掃除夫の老人はとっくに帰途へついたはず。
どうやら、カァキのダンボールを模して作られたくずかごは、さらに大きなくずかごである廃棄場の床へと、他人の夢とごったにされ、投棄してしまったのだろう。
もう、あのくずかごは戻って来ない。
持って行くな。持って行くなよ、俺の夢を!
日々、ゼロから始まる夢の入れ物。
私はそこへ、いちかけるゼロは「ゼロ」となった夢の残骸をぶちこみ、一日の終わりに、少しでも今日の夢が詰まっていなかったろうかと確かめる。
しかしいつも夢はなく、むなしい悪あがきの後だけがのぞき見えるだけだ。
だが、それでも私は今日を生きた証しを刻み付けなくてはいけない。
返してくれ、返しておくれよ、俺のくずかごを!
ああ、じいさん。ああ、じいさんよ!

@ちぇっそ@