メタル・ヘッドバンガーズ・ジャーニー

えー、まだパソコンは壊れたままですが、時事ネタだけいっこ上げときます。
「メタル・ヘッドバンガーズ・ジャーニー」
文化人類学者サム・ダン氏が、愛して止まぬへヴィ・メタルのために論文を書こうとしていたところ、知人の勧めで「それならいっそ、映画でも撮っちまえ!」ってことで製作された、本格的メタル研究の礎となろう(?)ドキュメント作品です。
「これほどまでにマーケティングされ、商業的に巨大なマーケットとなっているへヴィメタルが、何故未だに世間から忌み嫌われているのだろうか?」
その疑問を解消するため、ダン氏は世界各地、メタルに縁もゆかりも深い地を巡って旅に出ることになります。バンドや当時の関係者、またはカウンセラーや他分野の学者までをも巻き込んで、メタルに関する興味深い証言を採取しながら、メタルの発祥からその発展までを検証して行くメタル探求の道。
根本には相当学術的な意味合いも込められているのでしょうが、そのような堅苦しいことは抜きにして、メタル好きやまたはそうでない人にでも、メタルの歴史や存在意義(そんな大げさなものでもないか)を、とても分かり易く総括してくれる傑作娯楽ドキュメントに仕上がっています。
ダン氏は言います。「とかくメタルは反社会的だと言われるが、それはむしろ世相を反映した逆説的な反面教師の側面がある」と。つまり社会が荒れたとき、音楽を通して問題提起をしてきたのがヘヴィ・メタルであったと言うわけです。
それこそ中世までさかのぼれば、甚大な被害を及ぼす厄災に見舞われたとき、それは悪魔や魔物の姿を取り、後世に語り継がれる神話となりました。現代ではそれが「ヘヴィ・メタル」と言う形に姿を変え、より直接的な表現で社会の暗い面を暴く役目を担っている。
こと海外においては、生活は宗教と密接に結びついており、貧富の格差は無常に営まれる社会の実情を露にしています。そんな中、ヘヴィメタルによって主張することは、自身の存在を証明するための直接的な行動のひとつとして、若者に受け入れられて来た手段なのです。
世知辛い社会を陰気に呪ってみるのではなく、ヘヴィメタルによってより攻撃的に自己表現をする。そうすることによって、住み難い世の中で日常的に感じているストレスを、健全な方法によって発散させているわけです。
中にはノルウェイジャン・ブラック・メタルのように実際的な行動に移す危ない輩もいますが、元来メタルは娯楽であり、音楽そのものが武器でなくてはならず、犯罪行為とは直接関係のないものなのです。
ある意味、労働者の音楽であり、またそのためにつきまとう「マッチョ」のイメージも、「強さ」を象徴してきた、その証明に他なりません。メタル・ファンの大半を男性が占めているというのも、これでうなずける話。男は“弱い”生き物ですから、何か自分を鼓舞するものがないと、社会から逸脱してしまうのですから(笑)
何故メタルが嫌われるのかと言うと、メタルは社会の現実を写す鏡であり、それは実は一般社会が目を背けようとしてきた暗黒面に光を当てようとするもの。だからこそ、真実を暴かれては困る体制からは忌み嫌われ、逆に若者はそんな大人たちに反発するために反逆的な行動に移るのだと、ダン氏は分析するのです。
メジャーに対するマイナー。しかしながらメタルには、マイノリティだからこそ輝くと言った側面があることも否めない事実であり、世間に認めてもらいたいと思いながら、結局はメジャーになることのできないジレンマを孕んでいることも否定できないところですが。
このように宗教的・社会情勢的な問題を踏まえて、メタルと言うものを体系的にまとめることに成功している本作ですが、人種問題については完全に抜け落ちていました。単に予算の都合で調査出来なかっただけかも知れませんが、この辺りが少し気になりました。
メタルにおける有色人種の存在。例えば、これまで登場した黒人のメタル系アーチストのなんと少ないことか。または非英語圏のバンド(もしくは英語で歌っていないバンド)のほとんどが、世界的に認められることが皆無に近いと言う実情については、全く検証されていません。
マイノリティを強調しながらも、結局は白人の独占市場となっているへヴィ・メタルについて、やはり所詮はブルジョアジーであるとの印象を拭い去ることはできません。マイノリティからマジョリティへ対しての表明を示したところで、その大半を白人で占めるマジョリティでは、同色である白人の言葉しか受け取ることがないのは、大航海時代より受け継いだ伝統です。
奴隷の声は主人たる白色人種の耳には届かず、そもそも白人へ向かって発言することすら無意味と化してしまった。話を聞いてくれる人たちがいてこそ、その主義主張が意味を為すのなら、もうひとつのマイノリティたる有色人種のそれは、世界の支配層たる白人に対し、ぶつかり合って光輝くことすらないのです。
「白人の白人による、白人へ向けた音楽」それこそがヘヴィ・メタルの真の姿だとしたら、「音楽こそは言葉や人種の壁を越え・・・、云々」などと言う綺麗ごとなど、全くなかったことになってしまうでしょう。
私は海外でのメタル経験がほとんどないので、実際の現場での状況など計りかねるところもありますが、この辺りの問題が明らかにされない限り、ヘヴィ・メタルと言うものに対する正確な全体像など見えて来ないのではないでしょうか。
へヴィ・メタルには確かにポジティヴ精神がありますが、そのへヴィ・メタル自身に関しても全く問題がないわけではないと言うことを、肝に銘じておく必要はあるかと思います。
これに関しては、もし次回作の構想があるなら是非とも検討してもらいたい案件ですね。特にダン氏は、自身が「人類学者」でもあるわけですから!(笑)
http://www.metal-movie.com/

@ちぇっそ@